個人タクシー無線基地
短大を卒業し、アナウンサーを目指して学校に通っていた時に、 私が当時所属していた障害者団体の集まりがあったのですが その集まりに参加していた方からその仕事の募集の話を聞き、応募したのがここでした。 マイクで話す仕事であるということと、勤務先が自宅から近いということが決め手となったのです。
仕事は無線のオペレーターで、メインはタクシーの無線配車ですが
電話の受け答えから地図調べ、無線での配車、日報・記録簿の記入まで全てを一人でやらなければなりません。
実は私は何も考えず、ただマイクで話すことを仕事でできるということから
自分の目指すものとの共通点を見出せて入社したのですが、初めての就職先でもあり緊張感で一杯でした。
ここは個人タクシーの組合ですので、回りは比較的高年齢の社長さんたちばかりです。 そのベテランの男性達を、若く運転免許も持たない、地図さえ見たことのない私が、 仕切ることになってしまったのです。
勤務は10時間勤務です。
最初のうちこそ、毎日出勤で先輩と一緒だったので比較的ラクでしたが
程なく独り立ちし、先輩と一日交代になりました。
一日交代ですので、身体は楽そうに感じるのですが
実はこの仕事、休憩時間というものがないので
トイレは勿論、食事もままならないものでした。
相当キツイ仕事だったと言えます。
雨の日など、同じ姿勢でずっとマイクに向かい
電話2台の応対も一人でし続けたことが原因で、ギックリ腰になったこともあります。
ここで働いたのは6年間でしたが、このときの無線番号と運転手さんの名前は
今でも殆ど覚えていますし、30年近くたった今でもこの仕事をしている夢を見ます。
結構皆さんに可愛がっていただき、お客様からの身に余るほどありがたい評判もいただいて
全国紙の新聞に載せて下さったこともありました。
楽しい思い出もたくさんあります。
二ヶ月ほど休暇をいただき、遠く離れたところにある身障者の為の教習所に行って
運転免許を取らせてもらう等、結構無理をきいてもらったりしたものです。
また、業務上必要だった無線技士の資格も取らせてもらうこともできました。
思えば、ここでは障害者ということでの差別感はあまり感じることはありませんでした。
でも、残念ながらもっと基本の人間としての怒りを覚えることが多々あったのです。
若すぎる、しかも女の私を馬鹿にしたような態度をとる人や
自分の娘のような年齢の私に女性として、それも遊びの対象として言い寄ってくる人が
何人もいたのです。
信じられませんでしたが、私にも無防備で隙が多かったのだと思います。
でも殆どの運転手さんは私を娘のように可愛がって下さいましたし
何年も後の私の結婚式にもわざわざお祝いに来てくださった方もおられた程です。
また、今も現役でお仕事されている方は退職後も私のことをおぼえておられて
街中でも人目をはばからず、親しげに車の窓を開け声をかけて下さいます。
それはやはり、嬉しいものです。
それでも若い私にとっては辛すぎることをここで沢山経験しましたし、 様々な、考えられないような人間模様も嫌という程見てしまいましたが ここでの経験は、お金を出しても買えないものだったかもしれません。
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