外資系大企業
26才になった私は、6年間働いた個人タクシーの無線基地を自己都合で退職し 雇用保険を受給するために職業安定所に通っていました。 受給が始まってまもなく、担当の方を通して違う市の職安から思いがけないお話をいただきました。
外資系の大企業で経理事務を募集しているので、行ってみないかとのことだったのです。 その会社の名前は勿論知っていましたが、そんな大きな会社に英語なんてできない私が 雇ってもらえるわけがないと思いつつ緊張感を持ちながら面接に行きました。
元々募集していた業務では書類運びが頻繁にある為足の不自由な私には無理だということで
わざわざ違う業務に替えた上で、結局採用していただくことができました。
英語は多少は必要でしたが、当面英会話が必要な場面は多くなく
書類上の英語が理解できればそれでやっていけるような状態だったので
何とか普通に仕事に慣れることができました。
面接の時に、ここは英語と数字を見ることに抵抗があるなら
仕事はできないと念押しされていたのですが、業務に就くとなるほど
英語と数字が常に飛び交う職場でした。
計算機がフル活用され、いかに早く打つか勝負もので鍛えられました。
後にはPCも導入され、入力の業務もありましたが
高校まで養護学校にいた私が、授業の中で資格を得た英文タイプが本当に役に立ち
何の気後れも苦労も感じずに作業ができたのが、ありがたいことでした。
ここは外資の大企業だけに、前職では考えられないような厚待遇でした。
お給料や賞与の良さは勿論でしたが、勤務も仮決算や本決算を除いては定時で実働8時間です。
通勤も自宅から車通勤で空いていれば7分程度の距離。
大きな駐車場も完備されています。
世界的に安定した大企業であり、これ以上いい勤務先はないと思いました。
何よりトイレにも行きたいときに行け、お昼休みもちゃんとある…というのが
一般では当たり前のことなのに、私にとっては信じられないぐらい嬉しかったものです。
ただ、その時に初めて知った「障害者を雇うと企業に一定期間、国から補助金が下りる」ということが
少しショックでした。
なんとなくですが、障害者にはやっぱりどうにもならない差別的なものがあるのを感じたのです。
そして、しばらくすると私も人間関係に悩む時がやってきました。
その頃同僚が自分の気に入らない人を標的にして、
その人を病気にしてしまう程酷いいじめをしていたのですが
何人目かに、ついに私が標的になってしまったのです。
驚きました。酷すぎました。
あまりにも子供じみたイジメを、私は只、信じられない思いで受けていました。
でも会社も黙認しその同僚の肩を持ち、その人の虚偽の申告で私の賞与がカットされたこともあります。
絶望感で一杯になりましたが、何とか耐え抜きました。
私には退職届を叩きつけるだけの勇気はありませんでした。
これ以上の待遇の会社はないと思っていましたし、辞めるのは無謀すぎますから…
それでも耐え抜くことができたのは、仲の良い別の同僚達がいたからだと思います。
その人達は私より年下でしたが、ずっと私の力になってくれました。
上司からの酷い仕打ちもありましたが、一緒に怒ってくれたことで
私の気持ちも随分ラクになりました。
勿論、皆なここを辞めてしまった今でも大事な友達です。
上司は私に対して、障害のことでいろいろな言葉を浴びせ
同僚達の前でもびっくりするようなことを言いました。
例えばフロアの大掃除の時、私ができることをしようとしているのに
「じゃまだから、別室に行っていろ」と大勢の社員がいる中で怒鳴られて驚きました。
小さい狭い部屋じゃないのです。
広いフロアで、決して邪魔になるようなところじゃないのです。
それなのに…私の人権も何もあったものじゃありません。
今、思い出しても怒りがこみ上げてきます。
そして…
結婚はともかく、出産で産休を取る時には暴言を浴びせられました。
上司、部長、人事部長に呼び出され
「普通結婚する時、女性は辞めるものだ。まして出産しても働くつもりなのか」と…
障害者の私は目の上のコブだったのかもしれません。
それ程必要な社員と思われていなかったのでしょう。
その頃はまだ今ほど育児休暇などが整備されていなくて 産前産後の休暇日数は少ししかない時代でした。 それでも出産後も働く人はいたのですが 私の場合保育所の予約ができず、一ヶ月余分に休職したいと申し出たことで 余計に怒りを買ってしまったのでした。
でも私も必死に訴え続けたことで、何とか私の申し出通りに対応してもらうことができ
その後も働き続けることができました。
ここでは結局19年4ヶ月もの長い間、お世話になりました。
私としては、家も建ててしまってローンを抱えていましたので
当然ながら定年まで働くつもりでしたし、それが可能だと考えていました。
ところが、思いがけないことに会社が合併するという事態になり
私の勤めていた本社は、ただの事業所になりました。
更に、それからしばらくして事業所は閉鎖されてしまうことになったのです。
所属していた部署は東京本社に移転になった為、単身赴任するか退職するかの選択しかありません。
家族を残して主婦の私が単身赴任ということは、経済的にもできることではありません。
泣く泣く退職を選んだのでした。
割増して支給された退職金は、金額的には私にとってかなり大きいものでしたが
働かないでいるということは収入がないのですから、何年も過ごせるものではありません。
不安は尽きないものの、とりあえず少しの間は身体も心も休めたかったので
雇用保険を受給しながら、少しだけ充電期間を過ごしました。