外資系大企業(再入社)
入院中の外泊時に私は一通の手紙を書きました。
宛先は、19年4ヶ月正社員として勤めた会社の人事本部長です。
元々辞めたくて辞めたわけではないし、事業所の閉鎖という事情があったのですから
別に躊躇もせずに書くことができました。
本部長は女性でしたので、理解していただくことができるかもしれないと思って書いたのは
再雇用のお願いでした。
今から思えば、かなり心臓の強い行動だったかもしれませんが
当時の私としては、必死だったからできたことです。
このままでは身も心もズタズタになると思いましたので
どうしても安定した収入がほしかったのです。
結果は意外でしたが、スムーズに運びました。
前向きに考えるという担当部署からの連絡で、私は本当に安堵しました。
まもなく退院した後、面接までの期間をゆったりとした気分で過ごすことができました。
その後契約社員として採用された私は、家から車で40分ほどの事業所に配属されました。
仕事は営業のサポートです。 前に長い年月勤めていたのは経理でしたので畑違いではありましたが どんな仕事も最初は初めてなのだからと思い、割り切って業務に就くことにしました。
最初は本当に嬉しい日々でした。
以前から知っている社員との再会も多々ありましたし、
電話でも懐かしい声とのやりとりが多く、私の帰るところはやっぱりこの会社だと
思ったほどです。
しかしながら、実は最初の採用時から私が勤務することになったグループの上司は
私のことを気に入っていなかったのです。
足の不自由な私の扱いが疎ましかった様子でした。
上からの指示に逆らうことはできないし契約は一年ごとなので、とりあえず一年の我慢と思ったのでしょう。
その上司は元々部下に対して好き嫌いが激しく、気に入った者しか相手にしないという人でした。
それは前もって知っていましたので、私はそれなりに気を遣いながら接していましたが、
一年目は契約月の関係で3ヵ月で期間が終わり、更新されて翌年に入りました。
ただし「もう一年…」という上司の言葉がついてのことでしたが…。
その頃からその上司のこともあって、回りの人が辞めたり異動していき、 次第に私にとって居心地のよくない職場になっていきました。
そして旧知の人ではあったものの、苦手なタイプの人が異動してきて親しかった人もその人に染まっていきました。
同時に仕事も私にとってやり辛いことが増えていき、ストレスが強くなり、神経がすり減っていく毎日に
通勤の車の中で涙が出て困ったこともあります。
それでも、上司に嫌味を言われながらも何とか二回目の契約も更新されました。
その頃から上司達や一部の同僚の私に対する風当たりはどんどん酷くなり
誤解や思い込みも多く、あまりの酷さに我慢できず釈明しても悪く取られるばかりでした。
何としても会社を去ることは考えられなかった私は、耐えるしかありません。
辛い思いをしていたのは私だけでなく、他の部署から転勤になった正社員の車椅子の方がおられたのですが、
私と同じように上司達から辛く当たられたことで心身症になり、長期休暇となってしまいました。
この方は、後に他の営業所に転勤となりましたが、結局私の二ヶ月後に退職されました。
日が経つごとに上司は私に「次回は更新しないから」と何度も強調して放言するようになり 信じられないような暴言を吐かれるようになりました。 原因は全て思い込みからであり、元々嫌われていた私は相性が合わなかったのだと思います。
そうこうしているうちに業務の担当替えで歩きまわらなければならない仕事が多くなり、
足にも影響が出るようになりました。歩くと激痛が走り、歩けなくなったのです。
ついには限界が来て車椅子での勤務を願い出ずにはいられなくなりました。
車椅子で勤務したのは退職する前3ヶ月程でしたが
足はラクにはなりましたが、業務内容に変更はなく
物を運ぶ仕事も担当を変えてもらえないばかりか、工夫して運べといわれたものです。
決して甘えからでなく、忙しい時間管理の中その作業に費やす時間に他の仕事をした方が
合理的ではないのかと思ったのです。
でも、そんな気持ちは聞いてもらえるはずがありませんでした。
そして5月の末に近い頃、大きな変化がありました。
契約の更新時期は年末だというのに5月も末に近づいた頃、本社から人事の担当者がきて
次期の更新はしないことを通知されたのです。
6月付で上司が同じ部署の他のグループに異動になったのですが、
置き土産に私との契約解除を人事に報告したとしか考えられません。
人事からは、「会社の状況で、申し訳ないのですが」というお詫びの言葉がありましたが、
その段階で退職させられるわけにいきませんでしたので
言葉が返せませんでした。
私は驚き落胆しました。
でも、覚悟していたことです。さんざん言われ続けていたのですから…。
それでも年末までは頑張り抜こうと気持ちを立て直して、いつも通り勤務し続けました。
ところが、9月に入った頃又もや人事から面談の連絡がありました。
もしかして契約が更新してもられるのか…と期待も少しですがしてしまいました。
でも何のことはない、年末の段階での社員数を減らさなくてはいけなくなったという理由で
退職を早めてほしいとの依頼でした。
目の前が真っ白くなったような気持ちでした。
何の為に頑張っているのかわからなくなるような虚無感で一杯でした。
同時に私の中の何かが音を立てて崩れ、変わっていくのを感じていました。
もう何の未練もないと思ったのです。
10月末での退職で10月は残りの有休を当てることになる為、
実質9月末までの出勤となりました。
残りの日々は、残務整理と通常業務に終われ瞬時に過ぎてしまったように思います。
そして、最後の最後まで当事者の元上司には辛く当たられましたが、
何とか出勤最終日を終えました。
ところが…です。まだ衝撃がありました。
私は10月末で退職となったわけですが、何と11月1日に私の後として同じ契約社員で
新しく人を入れたのです。
それを知った時はさすがに怒りを抑えられませんでした。
何故ならば、人事から開示された理由が全くの嘘だったのですから。
新しく入った人は男性の契約社員で、聴覚障害(難聴)があるそうです。 偶然から個人的にその人と食事をする機会があって いろいろ話を聞いたのですが、やはり人間関係に悩んでいるようです。
難聴の彼に電話を受けることを同僚が強要するのだそうです。
それは違うだろうと思いました。障害者苛めでしかありません。
上司、又その上の人事に言ってもいいことだと思います。
HPで障害者の好意的な受け入れをうたっている大きな企業がこれでは、
障害者はどうすればいいのでしょうか。
障害者を雇えば一定時期受給できる補助金目当てなのかと思うぐらいです。
そういえば、人事の担当者が私にはっきり言いました。
「社会的な義務である障害者の雇用人数は足りているから」と。
何でそんなことを、障害者である当事者に言うのでしょう。
昔、オリンピックの柔道で足を痛めた日本の選手が優勝した時、その戦いの中で 相手の選手は、痛めている足を攻めることがなかった為称えられましたが、 全くその逆のような扱いです。
こうして、私の再雇用の夢は終わりました。
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